深海底探査が本格化した1960年代、それまで目に見える科学的証拠として知ることのできなかった深海底に連なる山脈や海溝、海底下の堆積層や断層などが次々と明らかとなっていき、それまでの地球観は大きく変わっていきます。
そんな時代に日本の地質学者はどのようにプレートテクトニクスの概念と日本列島の形成氏を結びつけていったのでしょうか?
それらの熱い議論を示す1冊の本があります。
1973年から1985年にかけて岩波書店が出版する「科学」という雑誌に掲載された記事がまとめて収録された、「日本列島の形成 ―変動帯としての歴史と現在―」(1986年刊行)です。その冊子の中では、日本列島の形成について、地向斜の面から議論する論文とプレートテクトニクスを論じる論文がせめぎ合っています。
後のプレートテクトニクス理論による、日本列島形成のモデルの1つとなった紀伊半島地域の地質の成因についても地向斜の考え方から論じられています。地向斜の考えでは、日本列島ができる前の地層が分厚く堆積する場(地向斜の形成場)は日本列島の本州の南は屋久島、北は北海道渡島半島に沿った幅100km、長さ1,000km近くになる細長い海底であったと考えられています。そこに、南北から地層の元となる土砂が流入し、堆積した地層が隆起して日本列島になったというのが、地向斜による日本列島のモデルとなりました。ちなみに、隆起の原因が地球の収縮によるものか、火山活動によるものかは、明記されていませんでした。
1980年代には日本列島の地層の区分、現在よりは大雑把であるものの地層の形成年代などはだいぶ判明していたので、特に西南日本の地質は、北から南に向かうほど若い地層になるということは判明していました。そこで、その理由として、現在はすでに形はないものの、実は、かつての日本列島の南には大陸(黒潮古陸)が存在し、その大陸から風化した土砂が流れ込んで、南の方向に若い地層をつくるように現在の日本列島の原型を作っていたという説も存在しました。
海洋底の地形や深海掘削は開始されていたものの、まだデータや科学議論は尽くされていなかった時代のこと、日本列島誕生に関する理解は専門家の間でも分かれていたのです。
参考文献:
原田哲朗、徳岡隆夫(1986年)黒潮古陸.日本列島の形成 ―変動帯としての歴史と現在―(平朝彦、中村一明編)、岩波書店、p293-300.
吉田鎮男、木村敏雄(1986年)秩父‘古生層’.日本列島の形成 ―変動帯としての歴史と現在―(平朝彦、中村一明編)、岩波書店、p301-308.